minamata

2011年11月18日

水俣・白河展


水俣・白河展
11月20日(日)までです。
水俣・白河展

震災前から、白河展開催は決まっていました。
福島で、水俣展が行われることは
ほんとうに運命的ともいえると思います。

今回の原発事故の構図は
水俣とおなじです。

もう60年が経とうとしている
水俣病


企業
地域の中での大企業
行政
国、政治家
マスコミ
地域の人たちの中での差別
高度経済成長

大きなものには逆らえない空気と
タブーにふれまいとする空気

地方から都市部の流れるモノ
便利で豊かな生活を求める都市部の人々

美しい景色、自然とともに生きている人々

真を届けようとするジャーナリスト、写真家

そして、患者さんたちの声

学ぶべきは、患者さんたちの想い
それは
人として本当の豊かさを知っている人たちの声
話合おうと声を出し続ける人たちの声

人間が生み出した毒も、自ら受け入れて暮らす人たちの想い
受け継がれてゆく命
それを「のさり」といえる人の境地


今、minamata から hukusima をみること
学ぶことはとても大切なことだと思います


[美しい不知火海]
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今まで、地方の水俣展にはずっと行ってきたのに、
今年は、白河展に行くことができませんでした。
ざんねんです





sorayuki_1 at 09:59|PermalinkComments(1)

2011年04月02日

水俣と福島第一原発事故


2011.3.11
大きな揺れと津波
そして福島第一原発の事故

未曾有の出来事が起きた


国の姿勢、政府のやり方
メディアの報道の仕方
そして
加害企業となる東京電力の体質


どうしても どうしても
水俣と重なる


水俣での出来事は、もう50年以上前のこと
この国はまた同じ過ちを繰り返す


水俣で起きた有機水銀による公害は
この国が戦後、経済が成長してゆく最中に起こり

不知火海へ流れたメチル水銀は27t
耳かき半分ほどの量で人と死に至らしめるその毒は、
一億国民を二回殺しても余ある
そして36年間流され続けた

その間、経済成長の象徴でもあった加害企業チッソは、
事実を隠蔽しようとし
国や議員がそれを擁護し
医師や東大の教授たちは有機水銀が原因であることを否定した


そのことで、原因究明とその対応が遅れ
また真相が隠され続け
その間に、病になった人たちが大勢出て
いわれのない差別をされ、地域の関係性が崩れ去った


それは小さな
東京から遠く離れた美しい海の村で起きた出来事で
それを知らない都心に住む人たちは
便利で豊かな生活をするために
加害企業チッソが製造した製品を購入し使っていた


今現在も水俣病はおわってはいない
病を抱え生きてきた人たちは、自らの命にむち打って
チッソや国と向きあい続けている

この国が首相が、その責任を認め謝罪したのは
去年、水俣を公式訪問した鳩山首相が初めてとなった

水俣病公式確認(1956年)からみれば
(実際は発病が確認されているのはそれ以前になる)
54年後にして初めて、この国の首相がこの事件と向き合ったことになる



今、福島第一原発事故が起こり
加害企業東京電力、国、メディア
そして電気を受益してきた首都圏に暮らす私たち

この構図や、今すすんでいる方向が
水俣と重なる


水俣には心がある
大切な大切な心がある

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水俣の患者さんが話してくれたこと


魚(いお)が受けたもの(毒)を
自らも受け入れようとした人がいる
自然と切り離して自分の身をおくことはしなかった

人を愛し人を慈しむ
それが病の子だとしても分け隔てなく
人といういのちを全うする


それを聴いたとき、私は
毒があるかもしれない魚を食べるという覚悟を
自分ができるか、できないだろうと思った


だけど今、自分が
放射能物質と向き合いながら暮らさなければならないという状況になり
やっと
この地で自然と自分を切り離さないで生きるということの
理解ができた気がしている
(水俣のそれは比べることのできない位のものなのだけれど)


いつも何かが起きて
ほんとうのことを 大切なことを
伝えてくれるのは
被害にあわれたの方のほうから


どうしてこんな社会になって(して)しまったのか

もうこれからは これ以上は
私たちは個人個人で
いろいろを選び
それを社会のせいだとするのではなく
そこに参加している自分として在る自覚を持ち
声を上げるときは上げなくてはいけない

私たちの社会は私たちの手で


それが 大きな過ちを繰り返す社会への
唯一の解決法ではないだろうか


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人は大きな技術を持ち得て
自然に対して傲慢になりすぎた
便利で豊かであるのがあたりまえな暮らし

けれども
その元に その先に
何があるのかに思いを巡らせ
その行為を今一度考えなくてはならない


それを強く そしてあたたかく
教えてくれたのは
水俣の人たちの言葉


福島第一原発の事故は起きてしまった

けれど
水俣の人たちから学んだこと


加害者を国を
そして今の政治を憂うより
投票より政治運動より

自分のライフスタイルが指し示すことが
はるかに大きいことなのだと
その生き方がおしえてくれる


新しい社会へ
一人一人の存在が現れる社会へ

きっとできるはず





sorayuki_1 at 15:46|PermalinkComments(2)

2010年09月19日

水俣・明治大学展 〜水俣病という思想、共生する政治〜


水俣・明治大学展
終了しました

今回もいろいろと想い、知り、学ぶことができました。
2006年の和光大学での水俣展から、
新潟、千葉、今回の明治大学と、
今までに4度みているけれど、
毎度、新たに気づくこと、思うことがある


今回のうれしかったこと

私が水俣病を知ってゆくきっかけになった一枚の写真。
その写真を撮った写真家の
桑原史成さんにお逢いでき、お礼をいえたこと

今年の春水俣でお逢いした緒方正実さんのお話をまた聴け、
その時、戴いたのに、紛失してしまった(大泣)、
祈りのこけしをまた戴けたこと。
(もうなくさないゾ!)

ボランティアを重ねてゆくなかで、
たくさんの人たちにここで再会し
協力してがんばれたこと

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

水俣病という思想


水俣には心がある
大切な大切な心がある

人 生きるということ
「そこにいる」ことの大切さ
共生という言葉をつかわなくてもいい
ごくあたりまえである存在することの価値

人として
どげん生きないかんかと問い
自身にも問い続け
生きてきた人たちがいる

大きな権力から、過酷な仕打ちを
体と心に受けながら
それを受け入れて舫おう(つなごう)とする人たちがいる

魚(いお)が受けたもの(毒)を
自らも受け入れようとした人がいる
自然と切り離して自分の身をおくことはしなかった

人を愛し人を慈しむ
それが病の子だとしても分け隔てなく
人といういのちを全うする

圧倒的な悪とも
向き合い共に歩もうとする

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加害者を国を
そして今の政治を憂うより

投票より政治運動より

自分のライフスタイルが指し示すことが
はるかに大きいことなのだと
その生き方がおしえてくれる


新しい社会は
その存在、共生に価値をおく社会
それはきっと社会というものが生まれた頃にあった
初原の社会

ーーーーーーーーーーーーーーー


そんなお話を聞きながら
私は思い出していた

オーストラリアでゆかりさんがアナの家で言っていたこと

「彼女がガーデンをやると言ってくれたから、私たちが出会えた」
「アナが、愉しさをくれた」
ゆかりさんはそう言って。

それは
「お世話する人、される人」の関係性より、
もっとシンプルに、心と心が通う関係でいたい。


重い水俣病に冒され生きる人が教えてくれることと
ゆかりさんが言っていたことはおんなじだった。
本来、人と人との関係は、そういうものなのだと
改めて気づく


ーーーーーーーーーーーーー

しょうがいがあるとかで
なにができない、と
マイナスを重ねてゆく社会ではなく
与えること、損得に価値をおくのでなく
ただただいることを感謝しあえる社会でいたい

あなたと出逢えたから私はつながれたと
共にいることに感謝する人でありたい


きっとその連鎖が社会をつくる


伝統(封建)社会 
近代社会

そして

そろそろ新しい社会へ
一人一人の存在が現れる社会へ


ーーーーーーーーーーーーーー


こんど読んでみたいと思います
栗原先生の本


「存在の現れ」の政治―水俣病という思想「存在の現れ」の政治―水俣病という思想
著者:栗原 彬
以文社(2005-04-30)




sorayuki_1 at 21:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年03月20日

緒方正実さんのお話を聞く

相思社の集会棟
患者さん方の仏前で、お線香をあげ
緒方正実さんのお話を聴いた


50歳で(水俣病)認定を受けた

真実は被害者ひとりひとりが語らなければ伝わらない
話すことが特別。知られないようにしている人がほとんど。

病気を耐える力、偏見差別から耐える力

祖父は、発症3ヶ月で亡くなった(急性劇症型)
父親も亡くなった 
まだ水俣病がうつる(病気かどうか)わからなかった頃
父の魚は売れなくなった
正実さんは長男
正実さんの妹は胎児性水俣病

正実さんの子どもの頃の毛髪水銀値は200ppmをこえていた
(通常の100倍)
しかしそのことを知るのは25年後のこととなる
(検査した側が知らせなかったため)


補償を受けても補償を上回る苦しみを背負う
それは
"水俣病と言われること"
まるで犯罪者と思われるような意識感


「魚は食べていない」
苦しみから逃れるための嘘

"水俣病から逃げたい"
それは、祖父や妹を、
自分自身が水俣病を差別している苦しさ


30代。自分から水俣病とは言い出せなくなった

平成8年 政府から出された最終和解案
(補償金は260万円)

そんな想いを抱えて、こえて
(水俣病認定)申請をしたのに
水俣病ではないとの通知

自分自身を否定された気持ち

目で見て、耳で聞いて、心で感じてきた
水俣病を
関係ないといわれる苦しみ
くやしさ、怒り


平成9年 県の棄却処分に対し、行政不服審査を請求
水俣病は終わったとされる頃

以後12年間 棄却、異議申し立てを繰り返す

それは
自分の存在をきちんと証明するために

結果より言ってゆくことが重要

チッソ 行政 国 被害者
それぞれが正直にいたならば、拡大することはなかった
もっと(水俣病事件は)早く解決がなされていたのではないか


そこに気がつかなきゃならん
それを言わなきゃならん

自分が正直にならないと、相手も正直にはならない

行政として生きる前に、人として生きてほしい

法律の前に、命が大切
法律は人を苦しめるものであってはならない


そうして 12年
県知事が緒方さんに謝罪をした
患者認定がされる


相手を許すこと
自分のなかで、もやいなおす努力

人間は人間として生きなければならない

水俣病で気づいたこと
(それは自分にとって)貴重な出来事だと転じる生き方がしたい


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そうして 今
緒方さんは私たちにこうしてメッセージをくれる

言い尽くせないほどの
苦しみや悲しさを越えて

ゆっくりと確かな口調で
正面から向き合ってお話をしてくれる
その想いに

なぜだろう
こんなにあたたかな気持ちになるのは

苦しくて悲しくて
大変な想いをしてきたのは緒方さんなのに
なぜか、緒方さんが
私の背中を優しく押してくれるような


そしてやっぱり
その想いと同時に
緒方さんがチッソや国から受けてきた
その命に、生にかかわるものは
どうしたって不当だ

チッソも国も 
もやいなおしと思う方が
被害者からであることが悲しい


緒方さんは人として
とてもとてもすごいと思う
が、
そんな想いをさせるに至った
水俣病という
チッソが、人間が、起こしたことが
なんて罪深いのだろうと
思わずにはいられない










sorayuki_1 at 15:00|Permalink

水俣病センター相思社 〜歴史をひも解き、問題を捉えるということ〜


水俣病センター相思社の
水俣病歴史考証館を見学


水俣病センター相思社は、1974年に設立された
水俣病患者および関係者の生活全般の問題について
相談、解決にあずかるとともに、
水俣病に関する調査研究ならびに普及啓発を行うことを目的とした財団法人

相思社は、
(「相思」は、互いに思い合うの意)
水俣病の患者さんと、支援する人たちによって創られた

水俣病についての施設見学はこの旅で2カ所

この水俣病歴史考証館と
市立水俣病資料館(市がつくった資料館)。

この2つの施設が
水俣病をどう表現、展示しているのか見比べるということも意識してみたらと
実川さんが言っていた
(それは後日談とします)

[水俣病歴史考証館]
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水俣病歴史考証館の展示は、水俣展の原点。

水俣病事件の問題を通して、
それをみた私たちがどう生きるのかを問いかける


舟の展示や、道具の数々
海とともに生きてきた人たちの暮らしの豊富な展示。

水俣病の原因を知るためのネコ実験に使われた小屋の展示は
強烈だった

[猫小屋]
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「猫400号」

新日窒附属病院の細川一院長が、
工場の排水を猫に投与し水俣病発症を確認した実験。
猫400号の発症により、工場責任者に報告がされた

排水を投与された多くの猫たちを思うと
いたたまれない


最後の展示には
「もやい直し」の意味が書かれていた

「もやう」とは
船と船をつなぎ合わせること。

心のきずなをもう一度つなぎあわせるために。

硬直した対立の構造から次なる一歩をどう踏み出すのか

水俣の「もやい直し」という心の様は
世界の様々な問題にも通じ、
これから形作られるべき姿として在ると
展示は結ばれている


 



sorayuki_1 at 09:58|Permalink