田んぼ通信
2007年05月26日
田んぼ考
高速バスの
長野へと向かう車窓から
めずらしく眠らずになんなしと景色をみていた
今は田植えの季節
水を張られた水田がみえる
土の畦、石垣の畦、コンクリートの畦
その土地柄の田んぼの風景をみていた
するとだんだん
はじめ、いいなぁとみていたのとはちがう思いが沸いてきた
四方をコンクリートで囲われた田んぼ
電柱が鎮座する田んぼ
となりには鉄筋のビニールハウスが立ち並んでいる
田んぼのそばの新しい家々は
西洋風のおおよそ違和感のある
色など各家ごとのちぐはぐな家
山を切り開き、開かれた田がぽっかりと広がり
谷戸であろう緑に囲まれた場所には、
荒れた田んぼの跡
...
おおよそ懐かしい風景などはなかった
ちょっとざんねんだな...
舞岡や葉山の棚田を見慣れているせいか
都会とされる横浜である舞岡の方が
圧倒的に美しい
[photo : 葉山千枚田]
今の日本の田んぼ事情を再確認したような気持ち
風景も守ろうと意識する田んぼとのちがい
田んぼには
稲を収穫するだけではない
たくさんの役割がある、価値がある
田んぼのなかで生きるいのちの賑わいが、
伝わってくることの美しさが
私が思ういちばん田んぼのすごいところだと思い巡らす
[photo : 舞岡公園]
今、車窓を流れてゆくこの田んぼには
それが伝わってこない
人のためだけの田んぼ
豊かな自然を
いのちのつながりを
未来の子どもたちのために
だけど、もう
田を埋め立てられてゆくのはみたくない。
例えば、化学肥料、農薬
利益だけをみつめるのか
その田んぼの風景や、田を吹き抜ける涼風や
あかね色の飛び交うトンボにまで
心を思い巡らせられるかが
これからの未来へ
大きくものをいえば
環境、地球のこれからを思うのならば
どんなことを大切に守るのか
今、問われているように思う
そして
そんな地球や環境やおっきな問題が
そこここに
自分のもとに
あるということをおもう
意識や、行動を
かえるもかえざるも自分次第
自分をちょっと動かすだけで
関係ないと思わなくなる
都会にいても どこにいても
今ならできる
長野へと向かう車窓から
めずらしく眠らずになんなしと景色をみていた
今は田植えの季節
水を張られた水田がみえる
土の畦、石垣の畦、コンクリートの畦
その土地柄の田んぼの風景をみていた
するとだんだん
はじめ、いいなぁとみていたのとはちがう思いが沸いてきた
四方をコンクリートで囲われた田んぼ
電柱が鎮座する田んぼ
となりには鉄筋のビニールハウスが立ち並んでいる
田んぼのそばの新しい家々は
西洋風のおおよそ違和感のある
色など各家ごとのちぐはぐな家
山を切り開き、開かれた田がぽっかりと広がり
谷戸であろう緑に囲まれた場所には、
荒れた田んぼの跡
...
おおよそ懐かしい風景などはなかった
ちょっとざんねんだな...
舞岡や葉山の棚田を見慣れているせいか
都会とされる横浜である舞岡の方が
圧倒的に美しい
今の日本の田んぼ事情を再確認したような気持ち
風景も守ろうと意識する田んぼとのちがい
田んぼには
稲を収穫するだけではない
たくさんの役割がある、価値がある
田んぼのなかで生きるいのちの賑わいが、
伝わってくることの美しさが
私が思ういちばん田んぼのすごいところだと思い巡らす
今、車窓を流れてゆくこの田んぼには
それが伝わってこない
人のためだけの田んぼ
豊かな自然を
いのちのつながりを
未来の子どもたちのために
だけど、もう
田を埋め立てられてゆくのはみたくない。
例えば、化学肥料、農薬
利益だけをみつめるのか
その田んぼの風景や、田を吹き抜ける涼風や
あかね色の飛び交うトンボにまで
心を思い巡らせられるかが
これからの未来へ
大きくものをいえば
環境、地球のこれからを思うのならば
どんなことを大切に守るのか
今、問われているように思う
そして
そんな地球や環境やおっきな問題が
そこここに
自分のもとに
あるということをおもう
意識や、行動を
かえるもかえざるも自分次第
自分をちょっと動かすだけで
関係ないと思わなくなる
都会にいても どこにいても
今ならできる
at 11:54|Permalink│
2007年03月04日
百姓の「畦学」
農と自然の研究所の「田んぼの学校 東京分校」に行って来た。
福岡から宇根さんがやってくる。
宇根さんのいう想いを共有するとき、
いつも思う。
「ああ、田んぼってすごいなあ」
風も光も生き物も
自然を、誰が子どもに伝えるのか。
それは、親だっただろう。だけど、今は親にも頼れない現代。
伝えることができるのは「百姓だ」と宇根さん。
人々は、このめまぐるしい発展を批判はしないが、
生き物はきっと批判しているだろうと言う。
生き物の代弁。救うことができるのか。
今回のお話は「畦の草」。
宇根さんが石牟礼道子さんの本に寄せて、文を書いている。
それはとても印象深く思うので、
ここにのこしておこうと思う。
石牟礼さんの「名残の世」の一節。内容はこんな感じ。
宇根さんのいう「畦学」とは、
ただ畦草刈りをしていくのではなく、
刈る時期、刈る回数、刈る道具、刈る高さ、ちゃんと検証され、
農学的に裏づけてゆくことで、
「なぜ畦草が大切なのか」をかたちにしようとしている。
私は、それに、人の作業と畦草の関係性や、
植物どうしの関係、稲作と畦草の関係なども考えられてゆけば、
それは、
まだまだ多く行われている農薬を使って畦草を枯らすようなことは、
たくさんの不利益を生むということが
実態として多くの人にきちんと伝えられるだろうと思う。
宇根さんも言っていた、
「草によろしくといえる」百姓仕事として還ってくるように思う。
畦にひっそりと咲く、小さな花は、
はっと息をのむほど、きれいだ。
その名前を、その植物を知ることで、
足元の小さな花を知ることで、大きなことへも提言できる。
百姓は、稲を育てているだけではない。
多くの風景、自然のなかで、
生きものの、自然のためにいるのだ。
それが「百姓学」であり「畦学」である。
私も、植物の観察、調査を重ね、
自然と人が真に笑える日を愉しみに、見つめ続けよう。
P.S
宇根さんと嶺田さん(植物の博士)の
「田んぼの学校 舞岡分校」も実現しそうです。
すごく素敵になりそうで、わくわくします♪
農と自然の研究所
福岡から宇根さんがやってくる。
宇根さんのいう想いを共有するとき、
いつも思う。
「ああ、田んぼってすごいなあ」
風も光も生き物も
自然を、誰が子どもに伝えるのか。
それは、親だっただろう。だけど、今は親にも頼れない現代。
伝えることができるのは「百姓だ」と宇根さん。
人々は、このめまぐるしい発展を批判はしないが、
生き物はきっと批判しているだろうと言う。
生き物の代弁。救うことができるのか。
今回のお話は「畦の草」。
宇根さんが石牟礼道子さんの本に寄せて、文を書いている。
それはとても印象深く思うので、
ここにのこしておこうと思う。
石牟礼さんの「名残の世」の一節。内容はこんな感じ。
蜜柑を育てているご夫婦。「草が呼びはる」という。
小母さんは身体が悪い。
小父さんは、男の方が早く死ぬのだから、おれが死んだあと、
おまえの相手にしてくれるよう密柑山に言うとくよという。
その後、小父さんは亡くなって、
小母さんももう蜜柑山に行けない身体になるけれど、
近所の人は、畑に行くときに、
小母さんに密柑山に言付けはあるかと聞く。
すると、小母さんは言う。
「(蜜柑畑の)草によろしゅう言ってくれなぁ」
蜜柑の木ではなく、草によろしくという心。
「草取り」の仕事に、生き甲斐を感じてきた小母さんにとって、
草もミカンの木も同じ相手なのだということ。
むしろ、草のつきあいの方が深いのである。
蜜柑はカネになるが、草はならない、というような
近代的な価値観に染まる前の人間の原初の愛情がここにある
と宇根さんは記す。
百姓仕事はこういう世界に人間を誘ってしまう。
だから、仕事自体が楽しみになる。それは、相手がいるからである。
生きものが相手だからである。
草に美しい花が咲かなくても、とってもとっても生えてくるけれど、
草を相手に草取りしていると、
草と同じ世界に生きている情感が生まれてくるのだ、
目的を達成することだけが仕事ではない。
こうした情愛を、百姓仕事は育んでしまうのである。
こうした仕事の対象(相手)とのタマシイの交流があればこそ、
かつての百姓には「稲の声」や「草の声」が聞こえたのである。
しかし、「現代では、もうそんなことは不可能だよ」という声は、
この国に満ちている。これこそが「時代の精神」である。
経済成長に寄与しないどころか、
経済の足を引っ張る人生には、冷たい時代である。
だからこそ、「生きもの調査」に続いて、
「草花調査」をどうにかして百姓仕事にしたいのである。
田回りの最中に、生きものにみとれるときがある。
作物にみとれるときがある。
畦を歩きながら、野の花に心ときほぐされる時がある。
時を忘れて、自分を忘れて、人間であることを忘れて、
生きものとともにいる世界がある。
こういう世界を無駄だとは言わせたくない。
小母さんは身体が悪い。
小父さんは、男の方が早く死ぬのだから、おれが死んだあと、
おまえの相手にしてくれるよう密柑山に言うとくよという。
その後、小父さんは亡くなって、
小母さんももう蜜柑山に行けない身体になるけれど、
近所の人は、畑に行くときに、
小母さんに密柑山に言付けはあるかと聞く。
すると、小母さんは言う。
「(蜜柑畑の)草によろしゅう言ってくれなぁ」
蜜柑の木ではなく、草によろしくという心。
「草取り」の仕事に、生き甲斐を感じてきた小母さんにとって、
草もミカンの木も同じ相手なのだということ。
むしろ、草のつきあいの方が深いのである。
蜜柑はカネになるが、草はならない、というような
近代的な価値観に染まる前の人間の原初の愛情がここにある
と宇根さんは記す。
百姓仕事はこういう世界に人間を誘ってしまう。
だから、仕事自体が楽しみになる。それは、相手がいるからである。
生きものが相手だからである。
草に美しい花が咲かなくても、とってもとっても生えてくるけれど、
草を相手に草取りしていると、
草と同じ世界に生きている情感が生まれてくるのだ、
目的を達成することだけが仕事ではない。
こうした情愛を、百姓仕事は育んでしまうのである。
こうした仕事の対象(相手)とのタマシイの交流があればこそ、
かつての百姓には「稲の声」や「草の声」が聞こえたのである。
しかし、「現代では、もうそんなことは不可能だよ」という声は、
この国に満ちている。これこそが「時代の精神」である。
経済成長に寄与しないどころか、
経済の足を引っ張る人生には、冷たい時代である。
だからこそ、「生きもの調査」に続いて、
「草花調査」をどうにかして百姓仕事にしたいのである。
田回りの最中に、生きものにみとれるときがある。
作物にみとれるときがある。
畦を歩きながら、野の花に心ときほぐされる時がある。
時を忘れて、自分を忘れて、人間であることを忘れて、
生きものとともにいる世界がある。
こういう世界を無駄だとは言わせたくない。
宇根さんのいう「畦学」とは、
ただ畦草刈りをしていくのではなく、
刈る時期、刈る回数、刈る道具、刈る高さ、ちゃんと検証され、
農学的に裏づけてゆくことで、
「なぜ畦草が大切なのか」をかたちにしようとしている。
私は、それに、人の作業と畦草の関係性や、
植物どうしの関係、稲作と畦草の関係なども考えられてゆけば、
それは、
まだまだ多く行われている農薬を使って畦草を枯らすようなことは、
たくさんの不利益を生むということが
実態として多くの人にきちんと伝えられるだろうと思う。
宇根さんも言っていた、
「草によろしくといえる」百姓仕事として還ってくるように思う。
畦にひっそりと咲く、小さな花は、
はっと息をのむほど、きれいだ。
その名前を、その植物を知ることで、
足元の小さな花を知ることで、大きなことへも提言できる。
百姓は、稲を育てているだけではない。
多くの風景、自然のなかで、
生きものの、自然のためにいるのだ。
それが「百姓学」であり「畦学」である。
私も、植物の観察、調査を重ね、
自然と人が真に笑える日を愉しみに、見つめ続けよう。
P.S
宇根さんと嶺田さん(植物の博士)の
「田んぼの学校 舞岡分校」も実現しそうです。
すごく素敵になりそうで、わくわくします♪
農と自然の研究所
at 12:55|Permalink│
2006年12月22日
田んぼの縁 ?母校で縄ない?
田んぼを始めて3年。
生き物や植物とのつながりや、
人と人とのつながりのこと。
そして今年。
より、田んぼのもつそんな意味をもって、広くかかわれたらいいなあと始めた
小学校と養護学校の生徒たちとの田んぼボランティア。
学校の授業(総合的な学習の時間等)で、稲作を体験しています。
稲刈り、脱穀を終え、今日は収穫祭。
小学校におよばれして、縄ないを教えます。
ここは私の母校。
懐かしい校舎。小学生の頃を思い出す。
子どもの頃、広く感じた体育館もなんだか小さく感じる。
私が小学生の頃は、
舞岡公園はなかったから、当然、田んぼも体験したことはなかった。
主食であるお米の物語を、体験したことで、
子どもたちそれぞれの心の琴線に何か触れてほしいなあと思う。
縄ない。ちゃんと覚えてた?と内心自分にほっとしつつ。
子どもたちのいろんな反応。
私が子どもの頃はどうだったかな?なんて思いつつ。
* * *
終えて、
小学校の玄関にあるガラスケース。
今もちゃんとあった!
社会科の授業で、貝の化石を見に行ったときに私がみつけた
4000年前、縄文時代のたたき石。
みつけた場所は、舞岡公園のほど近くだったと思う。
なんだかうれしい。
50m、100m、リレー、水泳...
記録を刻んだ一枚の板。
ほとんどの種目に同級生の名前が刻んである。
今まで、記録がやぶられていないということだ。
いっしょに縄ないのお手伝いをした小学生のお母さんが教えてくれた。
「この世代(=私の代)は、野生児が多かったんだねとウワサしてたのよ」
わーい。そうでーす (^_^)/
生き物や植物とのつながりや、
人と人とのつながりのこと。
そして今年。
より、田んぼのもつそんな意味をもって、広くかかわれたらいいなあと始めた
小学校と養護学校の生徒たちとの田んぼボランティア。
学校の授業(総合的な学習の時間等)で、稲作を体験しています。
稲刈り、脱穀を終え、今日は収穫祭。
小学校におよばれして、縄ないを教えます。
ここは私の母校。
懐かしい校舎。小学生の頃を思い出す。
子どもの頃、広く感じた体育館もなんだか小さく感じる。
私が小学生の頃は、
舞岡公園はなかったから、当然、田んぼも体験したことはなかった。
主食であるお米の物語を、体験したことで、
子どもたちそれぞれの心の琴線に何か触れてほしいなあと思う。
縄ない。ちゃんと覚えてた?と内心自分にほっとしつつ。
子どもたちのいろんな反応。
私が子どもの頃はどうだったかな?なんて思いつつ。
* * *
終えて、
小学校の玄関にあるガラスケース。
今もちゃんとあった!
社会科の授業で、貝の化石を見に行ったときに私がみつけた
4000年前、縄文時代のたたき石。
みつけた場所は、舞岡公園のほど近くだったと思う。
なんだかうれしい。
50m、100m、リレー、水泳...
記録を刻んだ一枚の板。
ほとんどの種目に同級生の名前が刻んである。
今まで、記録がやぶられていないということだ。
いっしょに縄ないのお手伝いをした小学生のお母さんが教えてくれた。
「この世代(=私の代)は、野生児が多かったんだねとウワサしてたのよ」
わーい。そうでーす (^_^)/
at 09:40|Permalink│
2006年10月13日
葉山の棚田 脱穀・精米
突風も無事こえて 晴れて脱穀の日となりました
稲束がベルトにのって、あっという間に脱穀終了。
舞岡の手作業とはさすがに違います
脱殼機で、藁と籾に分かれます
↓脱殼機
↓精米機
精米機で、軽い米は選別され、
籾殻がはずされていきます
↓籾の状態
↓精米後
空っぽになった稲架 ごくろうさま
また 来年
もらった柿は、お夕食。
レシピも教えてもらってきました。
柿と大根のサラダ。
なかなか♪
稲束がベルトにのって、あっという間に脱穀終了。
舞岡の手作業とはさすがに違います
脱殼機で、藁と籾に分かれます
↓脱殼機
↓精米機
精米機で、軽い米は選別され、
籾殻がはずされていきます
↓籾の状態
↓精米後
空っぽになった稲架 ごくろうさま
また 来年
もらった柿は、お夕食。
レシピも教えてもらってきました。
柿と大根のサラダ。
なかなか♪
at 12:12|Permalink│
2006年09月29日
葉山の棚田 稲刈りおわり
棚田の農家さんたちがそれぞれの田を手伝い、
稲刈りはどんどんすすんでゆきます
稲架と彼岸花。
真っ赤なヒガンバナ。秋の風景
棚田の下から吹き抜ける風が、おいしいお米を育んでゆく
谷戸になっている棚田では、緑の稲穂のまま育たないものもあるとのこと
早い稲刈り。今日で終了。おつかれさま。
稲を刈る時、イナゴがびょんびょん飛んでいました
人の手を多くすることで、無農薬に変えた棚田。
生きものたちの出会いも増えるといいナと思います
どっきりカマキリさん
稲刈りはどんどんすすんでゆきます
稲架と彼岸花。
真っ赤なヒガンバナ。秋の風景
棚田の下から吹き抜ける風が、おいしいお米を育んでゆく
谷戸になっている棚田では、緑の稲穂のまま育たないものもあるとのこと
早い稲刈り。今日で終了。おつかれさま。
稲を刈る時、イナゴがびょんびょん飛んでいました
人の手を多くすることで、無農薬に変えた棚田。
生きものたちの出会いも増えるといいナと思います
どっきりカマキリさん
at 12:33|Permalink│