水俣への旅、はじまる百間排水口 〜水俣病の原点の地〜

2010年03月19日

チッソ水俣工場見学 〜私のなかのチッソ〜


チッソ水俣工場
水俣駅下車1分、正面に位置する

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[写真を撮るのはなんだかはばかれたが、工場の方の了承を受け撮る]
[工場の方もそのことには慣れているようだった]


水俣への旅、初日。
いちばん最初の訪問先は「チッソ水俣工場」

住所は、野口町1-1
「野口」は、創業者の野口遵(したがう、じゅん)の名前から。
チッソと水俣の関係の大きさを改めて感じる

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[チッソ工場内にある創業者 野口遵の銅像]
[チッソ内の写真撮影はここまで]


工場内には、見学者のための展示室がある
チッソが生み出した製品の数々
私たちの暮らしのなかにいかに役に立っているのかを
クリーンなイメージで展示されている

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チッソは、旭化成、積水化学などの母体会社であり
戦後の経済成長を支えた企業である。

なぜ、東京から離れた水俣の地に
この工場ができたのか

山があり、水が豊かにあり
山に発電所を作ることで
その電力で工場を操業する
水俣は発展のために望んでチッソを迎え入れた

東京ドーム12個分の敷地
水俣の人口27000人のうち工場で働く人は500人
関わる人は2000〜3000人になるという
水俣にとって唯一の一大産業であることはいうまでもない


チッソが生み出すもの
現在では液晶、シリコン、機能性肥料
(液晶は世界シェア49%)
あらゆるものの中間材料としての役割を担っている


"次世代に期待される私たちの技術"
"地球環境に配慮した製品づくり"
"くらしの中にある私たちの製品"

そんな言葉がおどる

みせていただいたVTRにも

"地域に貢献することもチッソの責務です"
"地域とともに栄えていくようにつとめてまいります"

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案内を担当する方は、とても快活明朗な印象のある方で、
私たちの質問に対しても
チッソ側の方として言えるぎりぎりのところであろう
お話もしてくれた
お話を聴く機会を頂けてよかったと素直に思う。

その方もまた父がチッソで働き、
自分もチッソに就職することには迷いはなかったという

二度と同じ失敗をしない
水俣にきてくれたことがうれしいこと、
チッソの広報担当としてできることはしたい、と
おっしゃっていた。

展示してあった数々の製品は
全国のスーパーに並ぶごくごくふつうの商品
CMでもよく流れている商品


私は、なるべくナチュラルなものを選び暮らそうとしているので
商品として使用しているものはほとんどなかったが、
コンタクトにはシリコンが使用されていたりと
絶対に暮らしのなかにチッソの生み出した製品はある

"次世代に期待される私たちの技術"
"地球環境に配慮した製品づくり"

・・・

発展を望まない企業はない
だけれど、それが人が望むべきものなのか

発展(便利で豊かな暮らし)=しあわせ
であるのかはちがうと私は思う

便利だから豊かなのか、それはきちんと考えるべきだ


展示室の私たちの暮らしに貢献しているという
クリーンなイメージのなかに、
チッソの沿革のなかに、
水俣病の記述はどこにもなく
加害企業として何をしたのかの事実はない

チッソ分社化の動きがすすむなか
この企業の体質のなにかを感じる


水俣フォーラムの実川さん(今回の旅の案内人)が
チッソは本当の意味で
よみがえる、生まれ変わるべきだと言っていた


発展=人の豊かさ、しあわせではない
真の意味で、チッソが生まれ変わるには
未だ解決されていないことがある
決定的に足りないのは
人としての真摯さではないのはないのだろうか
...企業もこの国も


そして、自分を含め、私たちひとりひとりが
自分の暮らしの在り方を改めて問うべきだと思う
小さな一歩だけど、それを弛まずすすめてゆくことが
その
発展=人の豊かさ、しあわせではない という
証となるのではないかと思う

私は私の暮らしのなかのチッソを認めると同時に、
それ(モノ)に頼りすぎない暮らし方を
なんとかしたいと思っている。
矛盾しているかもしれないけれど
依存したくないという思いがした。

そして、その解決の先には
人と人との繋がりや、自然とのつながりが
あるのではないのかと感じている




sorayuki_1 at 15:55│ minamata 
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