光りと祈りパレスチナ

2006年11月23日

灰谷さん

灰谷さん
私にとって灰谷さんは、大きな大きな人だった。

「太陽の子」を読んだとき、とても心動かされた。
それから、1ヶ月、2ヶ月の間に、
灰谷さんの作品のほとんどを読んだ。
あんなに読書の熱が沸き起こったときは他にない程。
除夜の鐘を聴きながら、
「天の瞳」を泣きながら読んでいたのは
いつだっただろう

灰谷さんは私に、素敵な出逢いもくれた。
「沖縄」という熱は私のなかで今も続いている

「沖縄に行こう」と思ったとき、
当時仕事で、しょうがいをもったみんなと花の栽培をしていた私は、
沖縄の農園もみてみたいとも思っていた。
そうして調べていたとき、
「これだ!」とみつけたのは、
「お百姓ってすばらしい!」
そうまっすぐにいう、私とそう年も変わらない青年お百姓さん。
自分の生きる道をしっかり歩んでいる人。
しっかりした知識と、自分のこだわり、
方法をえらんで、うまい野菜を作る。
沖縄は農作物を作るのにはきびしい環境。
この地をえらび、根を下ろした。

なぜお百姓さんが沖縄を選んだのか。
私と同じく「太陽の子」を読んだことが
大きなきっかけにもなったらしかった。

私はそうして、渡嘉敷島に行くことになった。
島に渡る船のなかで、読みかけの灰谷さんの本を読んでいた。
それまでにも、沖縄の離島を旅していた私。
とくに、八重山の果て、波照間島。
なぜ惹かれるのか、その何かがこの作家の本と出会い
わかりかけた気がしていた。

読んでいると、
「!」
これから泊まるお宿がでている。
その作品は、そのお宿の
それから沖縄のお父さん、お母さんと思うようになる
そのご家族をモデルにした作品だったのだ。

お宿のご夫婦は、お百姓さんの沖縄での親代わりの人でもあった。
(後に、そのお百姓さんも他の作品のなかで、
この青年がいれば日本の農の未来は安泰だ(だったカナ)、
と記された人だったのを知った。)

私のなかの沖縄が動き始める。
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それから、
作業の担当が陶芸にかわれば、パナリ焼の赤を見に行ったり。
沖縄に行く度に、島に寄り、
お父さんと泡盛を呑み、
お母さんと私がみんなについて思っていることや、悩んでいることを
話したりしていた。
私にとって、心落ちつく時間だった。
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島に行く度、お父さんに
この前まで灰谷さんいたよとか、来週から来るんだよとか言われていた。
いつも逢えずにいたけれど、
灰谷さんに、今感じていることや、やりたいと思っていることを
聴いてもらえたら、灰谷さんならどう思うだろう、そう思っていた。
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お百姓さんは、どんどん自らを寛げ、活躍している。
奥サンと二人三脚、素敵なご夫婦。
(私は今PCCJに通っているが、そこに一期生の写真があった。
「あ!」知っている顔があった。お百姓さん。
こんなふうに繋がっているんだなあと思った。)
パーマカルチャーにこだわらず、
自然とともに、耕し育てることを地に足をつけ実践している。

満天の星空をみながら、
「私も頑張らなきゃ」と思っていた。
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夏に、灰谷さんが入院したと知り、
お父さんに様子を聞いたときは、「大丈夫、元気だよ」との
言葉をもらいほっとしていた。
だけど...

灰谷さんから
私が学んだことは、「人に添う」ということ。

灰谷さんの言葉のなかにこんな詩がある。
私は、この一文がすべてを示しているように感じる。


あなたの知らないところにいろいろな人生がある
あなたの人生がかけがえのないように
あなたの知らない人生もまたかけがえがない
人を愛するということは知らない人生を知るということだ

    「ひとりぼっちの動物園」灰谷健次郎      


灰谷さんの作品は、教育関係者や、福祉に携わる者をはじめ
多くの人の心のなかに大切なものをくれたことと思う。
私もそんななかのひとり。

とても残念です。
灰谷さん今ごろ、ニライカナイみているかな。

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