2011年02月

2011年02月25日

冷蔵庫を壊す

冷蔵庫が2週間ほど前から動かない。
気づいたら、冷凍庫のものが解凍されていた。
あれ?、がやっぱりに変わる。

先月の電気代が、異常に高くておかしいと
東京電力の人に来てもらって点検してもらったりしたけれど
寒いから電気がかかるのでしょうとの結果。

雪が降った。
でもそのとき暖房器具をセーブした。
そんなとき

冷蔵庫に気がついた。
冷蔵庫は壊れる前に電気をくうらしい。


うちの台所は冷える。ゆえ、扉をあけて10日間。

スーパーに買い出しに行ってうどんを買おうとして、
いつもなら、ゆでめんを買うところ
冷蔵庫がないことを思い出し、乾麺を買う。
ふとスーパーを見回すと
常冷蔵の食品ばかりで、フリーザーの音がひびいている。
どれだけ、電気にたよっているのか。

冷蔵庫の中身は、生鮮食品が消えてゆき、調味料の類いが残った。

自分で漬けたハリハリ漬けや、梅干し。
保存食のそれを、昔から(たった50年前ほどの)の暮らしを、
「強いな」と思う。
昔ながらの暮らしに冷蔵庫(電気)にたよる部分はそうなかったろう。
畑で今日食べる分だけの野菜をとってきて、その日の食卓に上がる。
やろうと思えばきっと「できること」なんだ。


冷蔵庫のことをリサーチすると、やはり高額で10年使えば御の字らしい。
自分の今までを振り返っても、冷蔵庫は今で2台目になる。
(1台目はもらいもの)
修理に出しても古いものは、余計に修理代がかさみ、
そのくらいなら新品を買う方がよい、という商業ベースの流れ。

「壊れなきゃ、買ってくれないじゃん。
会社が困るから、そういうふうに出来ている」と云われた。

モノは大切に長く使いたい。
詰め込んで、詰め込んで。私は扱いが乱暴だったと思う。

こんな大きなものが不要品(ゴミ)として出るなんて
人は日々暮らしてゆきながら、どれだけのゴミを出すのだろう。
きっとリサイクルできると思うけど、いずれはどれもゴミになる。


非電化冷蔵庫の情報をみつつ、
冷蔵庫をオークションで眺めつつ...
なんだかんだで
「このまま(なしで)いけるかも」とも思い始める。


今日、春一番が吹いた。
春はそこまで来ていて、雪国でもなく。やっぱり無理かもとも思ったり。


原発は、美しい海を無くしてまで本当に必要なものなのか。
それでも電気を使うのは誰か。


水俣病患者の人が言っていた。

「汚染された魚だからと言って食べないということはしなかった。
なぜなら、自分たちは汚染される前も後も、
自然(魚)とともに生きているのだから」

その人は、受け入れた。
私は、そんなこと(決意)があるのかと信じられないくらい衝撃を受けたが、
その人は、本当に「自然」にそう語るのだった。

今では、きらきらと輝く穏やかな美しい凪の不知火海。
ほんとうにきれいな海だった。
その海での人の営みは50年経った今でも、ひっそりとしてしまった。
ただ、海とともに生きてきた人たちの心の芯の部分には
確かな海(自然)との絆が結ばれている。
そうしてまた、人と人との壊れた絆を取り戻しながら。


原発がこれ以上増えて、その残さは大地をけがす。
余所者が大きい機械を持って踏み込んで、
そこから始まるすべて(の問題)を自分のこととしておえるのか。
そこに生きる人たちは否応なく「おわされる」のだ。
そこで得る自分たちの益が微々たるものでも。得ないと決断する人もいるなかで。
いつでも、大切なそれを教えてくれるのは、弱い立場とされる側の人なんだ。
そして大抵の人々は、そのことさえも知らない。

いちど失われた自然は元には戻らない。それをわかっているのなら。

目にみえない毒は人間が作り出した、46億年の歴史のなかで自然にはない物質。
46億年を一年とするならば、ヒト(新人)が生まれたのは午後11時37分。
どれだけヒトは、自然に傲慢に生きるのだろう。


たぶん私は冷蔵庫を買うだろう。
日を重ねるごとに早急さをなくしてはいるけれど。
今の自分は、自然に対して、どこまでも加害者に近い存在の一部。
てもでも、最良の選択を選びながら暮らしたい。

政治は、弱い立場と強い立場の間をとる最小不幸らしいけど、
それでみんなが幸せにはなる日は来ない。
自分もその恩恵を受けるからといって、反対できないわけじゃない。
強い立場の人がそれを行使しようとする大きな力に対して、
「もうやめたら」と言い続けよう。思うこと。行動で示すこと。




山口県上関町「上関原発を建てさせない祝島島民の会」
祝島島民のブログ   http://blog.shimabito.net/




sorayuki_1 at 23:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)今おもうこと