2010年09月
2010年09月20日
鎌倉ナワールガーデン
葉山でのお仕事帰りに「行ってみよ」と、バイクを走らせ
休日のR134は、混んでいるけど
葉山から鎌倉へ
行き慣れた道
長谷に住んでいた頃
いつもみていた海の景色を思い出す
自然農の畑をみてみたかったので
月に1回開催する
ナワールガーデンのオープンガーデンに行ってきた
極楽寺の山の上
海からの風が届く庭
自然発生的にゆるゆると人々が集う
Davidさんが竹林から自然農の畑へと
2年かけて創っていったガーデン
今はまた新たな仲間が加わり
ガーデンをみているとのこと
ジンジャーの花 いい香り
[ジンジャーリリー(花縮砂:はなしゅくしゃ)/ショウガ科]
聖なる植物といわれ
アーユルヴェーダで使われる
ホーリーバジル
[ホーリーバジル(Holy Basil)/シソ科一年草]
ヒンディ語でトゥルシー(比べることのできない物の意味)
トゥルシーには、3種あり(ラマ、クリシュナ、バナ)、
たぶんこれはラマ・トゥルシー
ホーリーバジルは、インドで5000年以上
崇められ、祈りを込められ大切にされてきた。
原種のバジルに近く、
他の植物より大量のオゾンを発生させるとか?
[アマランサス/ヒユ科一年草]
原産はアンデス
”熱帯のホウレンソウ”
[花オクラ(別名:トロロアオイ)/アオイ科]
花をたべてみた。おいしかった。
花オクラ=トロロアオイと後で知る。
トロロアオイの根は、紙すきをしたときに使ったことがある。
根は水に浸けるととろとろになり、糊の役割に。
楮の皮と混ぜて、紙を作る
多種多様な生きものがにぎわうガーデン
自然な畑は、やっぱりすてき
その人なりがガーデンに現れるとつくづく感じる
たぶんDavidさんがみていた景色と
今のガーデンはまた違うのだろうとも思う
我が山小屋の畑は
日当り悪しの粘土質。
だけど、できるものをできるだけと決意もあらたに
ナワールガーデン(種の交換会)で、いただいた
ジンジャーの苗を植えた。日陰好き。よく育ちそう。
ホーリーバジルと花オクラの種もいただいてうれし♪
(山には楮の木もあるし、紙すきもこれでできるね♪)
ナワール
自然農は、目と心をかけて。
植物とある暮らし
は、やっぱり心躍る
それは自分と他の生とが同じであるという世界を
内なる場処から感じる感覚を取り戻す
ナワール
「"カルロス・カスタネダ" 読んでみて」
そう、西表島でいわれた夜を思い出す。
あの日の夜
月の暈(Halo)がずっと私たちを照らしてた
鎌倉ナワールガーデン
2010年09月19日
水俣・明治大学展 〜水俣病という思想、共生する政治〜
水俣・明治大学展
終了しました
今回もいろいろと想い、知り、学ぶことができました。
2006年の和光大学での水俣展から、
新潟、千葉、今回の明治大学と、
今までに4度みているけれど、
毎度、新たに気づくこと、思うことがある
今回のうれしかったこと
私が水俣病を知ってゆくきっかけになった一枚の写真。
その写真を撮った写真家の
桑原史成さんにお逢いでき、お礼をいえたこと
今年の春水俣でお逢いした緒方正実さんのお話をまた聴け、
その時、戴いたのに、紛失してしまった(大泣)、
祈りのこけしをまた戴けたこと。
(もうなくさないゾ!)
ボランティアを重ねてゆくなかで、
たくさんの人たちにここで再会し
協力してがんばれたこと
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水俣病という思想
水俣には心がある
大切な大切な心がある
人 生きるということ
「そこにいる」ことの大切さ
共生という言葉をつかわなくてもいい
ごくあたりまえである存在することの価値
人として
どげん生きないかんかと問い
自身にも問い続け
生きてきた人たちがいる
大きな権力から、過酷な仕打ちを
体と心に受けながら
それを受け入れて舫おう(つなごう)とする人たちがいる
魚(いお)が受けたもの(毒)を
自らも受け入れようとした人がいる
自然と切り離して自分の身をおくことはしなかった
人を愛し人を慈しむ
それが病の子だとしても分け隔てなく
人といういのちを全うする
圧倒的な悪とも
向き合い共に歩もうとする
加害者を国を
そして今の政治を憂うより
投票より政治運動より
自分のライフスタイルが指し示すことが
はるかに大きいことなのだと
その生き方がおしえてくれる
新しい社会は
その存在、共生に価値をおく社会
それはきっと社会というものが生まれた頃にあった
初原の社会
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そんなお話を聞きながら
私は思い出していた
オーストラリアでゆかりさんがアナの家で言っていたこと
「彼女がガーデンをやると言ってくれたから、私たちが出会えた」
「アナが、愉しさをくれた」
ゆかりさんはそう言って。
それは
「お世話する人、される人」の関係性より、
もっとシンプルに、心と心が通う関係でいたい。
重い水俣病に冒され生きる人が教えてくれることと
ゆかりさんが言っていたことはおんなじだった。
本来、人と人との関係は、そういうものなのだと
改めて気づく
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しょうがいがあるとかで
なにができない、と
マイナスを重ねてゆく社会ではなく
与えること、損得に価値をおくのでなく
ただただいることを感謝しあえる社会でいたい
あなたと出逢えたから私はつながれたと
共にいることに感謝する人でありたい
きっとその連鎖が社会をつくる
伝統(封建)社会
近代社会
そして
そろそろ新しい社会へ
一人一人の存在が現れる社会へ
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こんど読んでみたいと思います
栗原先生の本
「存在の現れ」の政治―水俣病という思想
著者:栗原 彬
以文社(2005-04-30)