2008年12月

2008年12月31日

往く年 2008

往く年
2008年
この一年

初めてのこと
始めてのこと

それなりにがんばれた
けど、

ひとつひとつに時間をかけてとりくむことがなかなかできずに
もっとできたかもしれない

そんな想いがとりまいた。

まだ、今年の目標に思っていたことは
できずにぐずぐずしている

”朝早く起き、決まった頃に眠る
野菜中心の食事を作り食す。
身体を動かし、日々を過ごす。”

心と身体がつながる日々を送りたい。

来年こそは、
畑開墾!

もうすこし、スケジュールをゆっくりして
暮らしを充実させたい

心いっぱいになるような瞬間(とき)をふやして

手がおぼえてる
そんなことをふやしてゆけるといいな。

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[パーマカルチャー キッズ&ファミリープログラムでつくった注連縄]

去年おぼえた注連縄。
ことしはたくさん作ったり、伝えたりできました

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[オマケ:なかなか上手にできたから、パチリ。荒縄]


「新年を寿ぐ心?しめ飾り?」2007.12.30

at 19:10|Permalink 今おもうこと 

2008年12月30日

パレスチナ 日本とイスラエル


もうすぐ新しい年を迎えるというのに...

パレスチナのガザ地区。
封鎖された自由をうばわれたガザ地区の人たち。
日本のメディアでは、ハマースへの攻撃ということになっている様子。
実際は、ガザ地区の一般の人々が大勢犠牲になっている。

日本は、後ろだてに大国があるかぎり、
ほんとうの報道はしないのだろう。

パレスチナ問題のことを知ったのは、
メディアリテラシーを学んだときから。
いくつかのパレスチナのドキュメンタリーを観たりもした。
その映画「ガータ」のなかで、ガータさんがいっていたこと。


"どうして、こんなにも凄惨なことが起きているのに、
世界は手を差しのべようとしないのか..."



パレスチナ・ガザの空爆についての正しい情報は、
パレスチナ情報センターが詳しいと思う。

空爆の只中にいるガザの大学の教授が発信するメール
ガザからの緊急メール

ガザのフリージャーナリストの文章
想像を絶する大量の死と破壊


パレスチナ
そして日本とイスラエル。

イスラエルを支援している企業は日本にもたくさんある。
イスラエルの空爆をどう思うか。

たとえば、
スターバックスでコーヒーを飲むことが、どういうことにつながるのか。
自分の行動を知る、考えることが必要に思う。

注意深くお金を使うために
主なイスラエルの支援企業をあげておく。
・スターバックス
(・サザビー)
(・アフターヌーンティ)
(・アニエスベー)
・マクドナルド
・コカコーラ
・ネスレ
・エスティローダー
・インテル
・マイクロソフト
・アイ・ビー・エム
・ディズニー

イスラエルの経済に大いに貢献している企業
・ダノン(関連:カルピスと味の素)
 (ミネラルウォーター エヴィアン)
・ロレアル
 (ポロラルフローレン)
・サラ・リー
 (ヘインズ、チャンピオン)
・ジョンソン&ジョンソン
 (ワンデーアキュビュー)
・ノキア

例えば、
この事実を知ってから、私はスタバに行っていない。
スタバはしょうがいのある人の雇用や、絵も店内に素敵に飾ってあって
とてもいいなとも思う。
プラスとマイナス。
だけど、この事実は大きい。

ミネラルウォーターでいえば、
エヴィアン(ダノン系)、ペリエ(ネスレ)、ヴィッテル(ネスレ)...
けっこうある
水も石油とおんなじ。21世紀は水を争う。


私のパソコンには「インテル入っている?」だし、
(Macがインテル仕様になった時なんとかならないかといったのだけど...)
コンタクトも使っている。


日常生活のなかで、多くの人がつながりを感じるのではないかと思う。

多くの子どもたちや(大人も)、ネズミーランドは、夢の国なんだろう...

だけど、知ることで選ぶことも私たちにはできる。

あと2日で2009年。
遠い国でもちゃんと繋がれる。
想像し、創造できる未来がいい。


ガザ封鎖の解除を求める署名がネットからできます
企画者:NPO法人パレスチナ子どものキャンペーン
提出先:日本国政府




「ルート181」2007
「GHADA ガーダ ?パレスチナの詩?」2006

at 00:38|Permalink しあわせのとびら 

2008年12月25日

水俣・千葉展


水俣・千葉展が開催中です。
(12月28日まで)
今回の展覧会から、
展示の説明をすることになりました。

私が、どんなところに心動かされたか。
水俣病事件史のなかにある
人と人、人と自然のつながり
人としての生き方

水俣から学ぶことは
これからの未来のぜんたいのしあわせに
つながっていると信じている

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

1956年 "もはや戦後ではない"といった時代。
時代は、高度経済成長まっしぐら。
水俣病は日本の歩みと表裏一体。
奇病と云われ、いわれのない差別を受け、
大きな企業、そしてこの国に対峙して
被害者である患者さんたちが
病苦にむち打って立ち上がらなければならなかった
水俣病の公式確認から50年。まだ水俣病はおわってはいない。


魚たちが卵を産む
豊かな不知火海
写真家の芥川仁さんは

うつうつたる水俣の印象を払拭する
おおらかで豊かな風景こそが事件と対峙する患者の魂を支えている


と、感じたという

芥川さんの撮った水俣の漁師さんの顔に刻まれたしわ。
ほんとうに穏やかな、仕事師の顔をしている。

胎児性の水俣病の子どもを抱きかかえ、愛おしく抱きかかえる親族の姿。
彼女は長女。
母は、この子が水銀を全部すいとってくれた「宝子」だと云う。


豊かな不知火海の
小さなプランクトンを魚が食べ、またその魚を大きな魚が食べ...
有機水銀という、魚の味にはあらわれない
その毒は、着々と生物濃縮されて
不知火海は死の海になった。

海の民は、魚を食べ続ける。
海の恵みとともに生きてきた。
国は、魚を獲ることを禁止しなかった。
禁止すれば、沿岸の漁業への補償もしなくてはならなくなるから。

いわれのない差別は、
その村の、人と人のつながりを断ち切った。

不知火海へ流れたメチル水銀は27t
耳かき半分ほどの量で人と死に至らしめるその毒は、
一億国民を二回殺しても余ある。


戦後の食糧増産 農業には化学肥料を、農薬を。 
チッソ(加害企業)は化学肥料を。
昭和電工は、農薬を。(後に足尾銅山鉱毒事件を起こす)
そうして企業は、大量生産、大量消費の社会のなかで急成長した。
そうして急成長したチッソは、
便利で豊かな暮らしのためのビニール製品を作り出してゆく。
(その作業の工程のなかにメチル水銀の排水が起こる)

国の目標は、高度経済成長を続けること。
豊かで便利な暮らしのためにその排水は止められることはなかった。
国は、国民の健康と安全を守ることはなかった。
奇病よりも、経営が大事。

日本の繁栄の時代は自然と人間を殺していくことの上に築かれていった。

政治家も、多くの医者も科学者も
真実を隠した。
チッソ(加害企業)を盾に、国は責任を逃れた

患者さんの心の叫び
被害者の望みは、
チッソの誠意ある対応と謝罪
体がもとに戻ること、自然がもとのとおり美しくあること

人間として向き合い、
患者の苦しみを受けとめることを求める魂の表現の場

患者として認めということは、補償金を支払うこと
お金。国は、チッソは、「できるだけ」のことはするという。

つくられてきた差別意識
人間のエゴイズム
病だけではない差別のスパイラル

緒方正人さんがむしろに書いた
チッソに向けて、人間に向けての
「問いかけの書」

人が人を人と思わんごつなったそのときからはじまったバイ
帰ってこーい
還ってこーい


杉本栄子さんは
水俣病を「のさり」という。
思いがけずいただいたという意味の
「今日(の漁)はのさった」という言い方と同じ。
悪いいい方ではなく、水俣病を「のさり」という。
水俣病になったからこそ、
いろんなもの(人の想いや出逢い)をもらえた
、という。

そうしてまた人と人のつながりを取り戻すという
「もやいなおし」という言葉がある。

豊かで便利な暮らしを求めた同じ人だから。
加害者も被害者も同じだ、ともいう。
人として同じ宿題を出された、という。

衝撃的な考え方、人の想いの境地だと思う。
水俣病の患者さんの想い。

定められた規制値を越える海には仕切り網を沈め、
捕らえた魚たちはミンチにされ、ドラム缶に入れられて、
埋め立てられた。
たくさんのいのちの犠牲の上に立っている。

作家の石牟礼道子さんの
すべての生きもの、人に注がれる眼差しのなかで、
こんな一文がある

二十一世紀がもしあるとすれば、
孤独な人類の切実なテーマは
究極の自然であるところの愛と
あるべき「家族」への希求であるにちがいない




この展示のおわりにむすぶ
水俣フォーラムの文のなかの一文。

薬害エイズ、原発事故、沖縄基地問題...
私たちはいったい何処に来てしまったのか、
そして何処に行こうとしているのか。
二十一世紀、もう一度、人とありたいと願います。

ひと。不知火海の海辺に人がいるのを知りました。
そこには有機水銀によって身体は蝕まれながらも、
私たちよりはるかに健やかな人びとの暮らしがありました。
大都会を構成する私たちとは異なる世界観をもち、
異なる日常を送る人びと。
いわば、「健やかな病者たち」と接することによって、
私たちは自らの病いの深さを知りました。

近代とは何か、
人間とは何か。
私たちは自らの理性をふたたび信頼し、
それぞれの日常を問い直すことからしか、
新たな方向は見い出せないように思われます。

「水俣」という経験、
患者たちの言葉を通してその手がかりが得られないか。
本展開催にあたって、私たちの願いはただこの一点にあります。


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水俣展を観る毎に、
人に還る想いをする。
心をふりかえり、想いを重ねる。

水俣を学ぶことは、人のしあわせにつながっている。



「水俣・新潟展」2008.8

2006.9
「起ちなはれ」
「私のなかの加害者」
「もやいなおし」
「Minamata Disease」

at 15:13|Permalink minamata 

2008年12月24日

まんまるケーキ



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あわててやってきたサンタさん
いつもの変わらない笑顔して
まんまるケーキ持って来た



at 18:48|Permalink ほっこり生活 

2008年12月19日

子どもたちとみた12月

やきいも大会

濡らした新聞紙でおいもを包み
ホイルで巻く
蒸し焼きで短時間で焼き上がる焼き芋

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やきいも やきいも おなかがグー
ホカホカホカホカ あちちのチー
たべたらなくなる なんにもパー
それ やきいもまとめて グッチッパー


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クリスマスのおやつ
かわいいー
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at 15:29|Permalink 歳時記/生きもの暦