2006年10月
2006年10月28日
人とのかかわり
アニミのお料理教室
先生は増山ゆかりさん
先日NHKの福祉ネットワークという番組に
出演していた増山さん
一度いつかお会いしたいなあと思っていたら
近くに繋がりがありました
今日も偶然。きっと必然♪
で、お料理教室に飛び入り参加
(^_^)/ わーい
今日のメニューは水餃子♪
ゆかり先生は、
小柄で、その人との接し方はやわらかで、
かわいらしい方でした。
今日はじめて御会いしましたが、すぐに心つながる人だと思いました。
ゆかり先生は、
サリドマイド被害者のための
福祉交流、健康管理などの活動を行っている。
ゆかり先生ご自身も、サリドマイドの被害者で先天性の障害があります。
長い施設での生活ののち、ただ出されたものを食べるのではなく、
自分で作って食べたいと、料理を始めたとのこと。
料理法のアイデアいっぱい。
使う調理器具も自分がやりやすいものを吟味して。
お料理教室で使っていた柄つきのボールは、
私が、長年愛用しているボールとおんなじものでした。
ゆかり先生と「これ便利だよね?」と。なんだかうれしかったです。
テレビをみていて、私が「わー、すごい!」と思ったのは、卵の割り方。
両手を、指先を使わなくても、きれいに割れる。
黄身を崩さず、殻を入れない方法。
今は、しょうがいのある人も一緒にできる、
出張お料理教室を各地でひらいています。
水餃子、うまかった!
(後日、家で作ってみました。作るのも楽しかったです♪)
* * *
お料理教室のあと、
ゆかりさんとアニミ代表のたろさんと私とで
お話する機会がありました。はからずも少人数での話になりました。
自然な流れで、「人とのかかわり」というテーマになり、
なかでも、「苦手と思う人とどうかかわっていくべきか」
というような話になり、
私は、自らの経験を思い起こし、話しました。
10年一緒の場にいても、わかりあえない人もいた
今日のように、ものの数分で、いっぱい自分を伝えている人もいる
不思議だね?って笑った
なんでかな。
こころの壁のようなもの。
人に自分が必要とされているかどうか、好意はどこからくるのか
知ることからはじまること
だけど、どうしても合わないなと感じる人だっている
けれども、顔を合わせていかなければならない状況ならどうする?
やっぱり、知ろうとすることを、やめてはいけないじゃないか...
という話になって、
「ん??、それは本当にむずかしいことでもあるよね」
と、笑ったり。
別の日、
どうしても「ん??」と思う人の前で、
心のなかで「I Love You」をいうのがコツと人から教わった。
ん?、私は未熟もの。
むずかしいものは、
むずかしいままでもあるかもしれないとも思っている。
だけど、できるだけ知ろうとする気持ちは持ってゆきたい。
一緒に時間を過ごして、互いに気持ちに添い...
そんな積み重ねの先に、私は「人のしあわせ」のひとつがあると思う。
私はそのことを思うとき、
しょうがいをもったみんなと過ごした日々を思う。
自分の弱さや、みせたくないぶぶんだって、避けてはとおれない。
(なんだか恋愛にも似てるなあ。笑)
だけど、その先にちゃんと笑顔が待っている。
ゆかり先生と出逢えたことで、
サリドマイドということ、考えた。
薬害ということ、国のしたこと、
以前会って話をきいた、川田さん(薬害エイズ訴訟)にも、
これから私がより深く関わろうとしている水俣のことも、
みんなつながっていると思った。
私につながっている。
教育テレビ 福祉ネットワーク
「シリーズ 夏を楽しむ(2)教えます 常識破りの料理法」
NPO法人 Animi
先生は増山ゆかりさん
先日NHKの福祉ネットワークという番組に
出演していた増山さん
一度いつかお会いしたいなあと思っていたら
近くに繋がりがありました
今日も偶然。きっと必然♪
で、お料理教室に飛び入り参加
(^_^)/ わーい
今日のメニューは水餃子♪
ゆかり先生は、
小柄で、その人との接し方はやわらかで、
かわいらしい方でした。
今日はじめて御会いしましたが、すぐに心つながる人だと思いました。
ゆかり先生は、
サリドマイド被害者のための
福祉交流、健康管理などの活動を行っている。
ゆかり先生ご自身も、サリドマイドの被害者で先天性の障害があります。
長い施設での生活ののち、ただ出されたものを食べるのではなく、
自分で作って食べたいと、料理を始めたとのこと。
料理法のアイデアいっぱい。
使う調理器具も自分がやりやすいものを吟味して。
お料理教室で使っていた柄つきのボールは、
私が、長年愛用しているボールとおんなじものでした。
ゆかり先生と「これ便利だよね?」と。なんだかうれしかったです。
テレビをみていて、私が「わー、すごい!」と思ったのは、卵の割り方。
両手を、指先を使わなくても、きれいに割れる。
黄身を崩さず、殻を入れない方法。
今は、しょうがいのある人も一緒にできる、
出張お料理教室を各地でひらいています。
水餃子、うまかった!
(後日、家で作ってみました。作るのも楽しかったです♪)
* * *
お料理教室のあと、
ゆかりさんとアニミ代表のたろさんと私とで
お話する機会がありました。はからずも少人数での話になりました。
自然な流れで、「人とのかかわり」というテーマになり、
なかでも、「苦手と思う人とどうかかわっていくべきか」
というような話になり、
私は、自らの経験を思い起こし、話しました。
10年一緒の場にいても、わかりあえない人もいた
今日のように、ものの数分で、いっぱい自分を伝えている人もいる
不思議だね?って笑った
なんでかな。
こころの壁のようなもの。
人に自分が必要とされているかどうか、好意はどこからくるのか
知ることからはじまること
だけど、どうしても合わないなと感じる人だっている
けれども、顔を合わせていかなければならない状況ならどうする?
やっぱり、知ろうとすることを、やめてはいけないじゃないか...
という話になって、
「ん??、それは本当にむずかしいことでもあるよね」
と、笑ったり。
別の日、
どうしても「ん??」と思う人の前で、
心のなかで「I Love You」をいうのがコツと人から教わった。
ん?、私は未熟もの。
むずかしいものは、
むずかしいままでもあるかもしれないとも思っている。
だけど、できるだけ知ろうとする気持ちは持ってゆきたい。
一緒に時間を過ごして、互いに気持ちに添い...
そんな積み重ねの先に、私は「人のしあわせ」のひとつがあると思う。
私はそのことを思うとき、
しょうがいをもったみんなと過ごした日々を思う。
自分の弱さや、みせたくないぶぶんだって、避けてはとおれない。
(なんだか恋愛にも似てるなあ。笑)
だけど、その先にちゃんと笑顔が待っている。
ゆかり先生と出逢えたことで、
サリドマイドということ、考えた。
薬害ということ、国のしたこと、
以前会って話をきいた、川田さん(薬害エイズ訴訟)にも、
これから私がより深く関わろうとしている水俣のことも、
みんなつながっていると思った。
私につながっている。
教育テレビ 福祉ネットワーク
「シリーズ 夏を楽しむ(2)教えます 常識破りの料理法」
NPO法人 Animi
2006年10月23日
はんとし
今の時刻は2:37AM 真夜中すぎ
雨の音が響いてる
屋根の雨の音 なんだか聴き入ってしまう。
稲架にかけた稲が濡れちゃうな なんて思いながら
PCCJから帰って来て、眠たいはずなのに
なんとなく眠れずにいる
今回学んできたことは、ランドスケープデザイン。
デザイン カタチつくるということは
自分だけの想いではできない
周りの環境や人の想いに添って、自らのイメージを折り重ねてゆく
ある場所をデザインする上での講義であったけれど、
私のあたまのなかは、
自分の夢へのデザイン、現わすことへのステップが
もくもくとしていた。
駅へ向かう帰りの車の中で、
設楽さんが、ふと「夢叶うといいな」と言ってくれた。
そうして私は、前職場を退職して半年、
いっとう嬉しかった出来事を、おしゃべりしていた。
前職場の福祉施設の利用者で、
諸事情により私が退職をしたと時を同じくして
施設に通わなくなり在宅の彼がいる。
彼は、私に多くの想いをくれた、いわば夢の原点である人。
そんな彼に稲刈りを誘ってみた。
この半年の間にも、彼に逢う機会は持ったのだけれど、
彼のお母さまの努力も叶わず、再会はなかなか実現しなかった。
お出かけすることに緊張感の高い彼はなかなか、なのだ。
お母さんは、稲刈りの前日、予行と称し、田んぼの下見をしてくれていた。
田んぼからかけてきてくれた電話口から聴こえる彼の声を聞いて、
「じゃあ、明日ね」と伝えたとき、
彼の明るい声と、お母さんの添う姿に胸が熱くなる思いがした。
そして、次の日の稲刈り当日。
彼は来た。やっと逢えたか。嬉しかった。お母さんと目配せした。
稲刈りが始まり、一般市民の参加者である子供連れの家族が稲を刈る。
私は、ボランティアスタッフとして、ひたすら稲束をまるく。
ふと、遠くでみている彼を見る。彼はいつも私をみていてくれる。
ちょいちょいと手招きすると、彼はにっこりやってきて、
以前、彼と一緒に仕事をしていた時のように、
いちど一緒に稲束を運び、場所を伝えると、
のみこみの早い彼は、稲運びに飛び入り参加。
何度も稲束を抱え、往復する。
他のボランティア要員の「土の会」のオジサマ方は、
私が少し説明しただけで、状況を把握して、
畦を往復する彼に、
「ありがとう、ごくろうさま」と口々に声をかけてくれた。
その言葉が、彼をいっそうやる気にさせ、笑顔をよぶ。
彼がこうしておしごとをするのは、どのくらいぶりのことだろう。
私は、以前前職場のおまつりに「土の会」のオジサマ方に
お手伝いに来てもらったことが功をそうしたなあと、うれしかった。
彼がお手伝いする姿を遠くでみていたお母さんも思わず稲束運びに参加して、
畦を行く面々との彼とのやりとりや、みんなで作業するひとときに
「(他と)違うわね。気持ちがいいわ」と話してくれた。
作業を終えて、稲架を背に一緒に写真をとった時の
彼のとびきりの笑顔。
私は、再確認する。
私のやりたいこと、夢はこういうこと。
人との共生「結」のこころ。そして、人と自然との「結」。
そして、田んぼの持ついくつもの可能性。
人の稲作だけではない、自然との関係、
田んぼの意味を伝えていけるようになりたい。
施設を出たら、そこで彼と私の関係が終わってしまうわけではない。
そのことを実感し、そのつながりに感謝したい。
施設を出たからこそ、できることがある。
障害者自立支援法という悪法ができて、私は想いを強くした。
(カンタンにいうと、体の不自由な人が、トイレの介助してもらうのに、サービスを受けるのだから料金を負担しなさいよという法律。トイレやお風呂という日常の必要不可欠な行為にお金を払いなさいといわれたら、あなたはどうしますか?)
この法律は、社会の在り方を問う問題であると思う。
この法律は今、みなしの部分もあって、
数年後には、しょうがいしゃの雇用を促進すると銘打って、
施設から一度みんなが出る経験をすることになるかもしれない。
そんなとき、
うちに来なさいよ?と言えるコミュニティつくりがしたい。
私は「福祉」という言葉は「人のしあわせ」という意味だからとても好きだけれど、
その単語の持つ一般的なイメージは、誰かと誰かを区分するような感じがするので大キライ。
だからもう、いわゆる「福祉」とは一線置いた新しいコミュニティつくりがしたい。
にっこり頑張る彼を見ているとつくづく思うのは、
自分が必要とされているという想いのかんじん。
それは、彼も私も同じ。
田んぼや、「農」のなかには、様々な「やること」があって、
それぞれの人にできることがある。
手仕事はおおぜいがいい。
そうしてまた、「結」を結ぶからこそ、できることでもある。
それを、作業をツールとして使う「療法」とは呼びたくないけれど
そういった要素もありつつ、また「療法」と決定的に違うのは、
対象者とかいうように人を区分けしないで、
ただ単に、いってしまえば土臭く、
「自分が必要とされているという想いのかんじん」をみな一緒に思えるという
シンプルイズベストなこと。
だから、施設福祉を越えた先にゆきたい。
知らない人は、私がみんなのことを話す(仕事柄を言った時)と、たいていは、
「(しょうがいについて)大変ね」という。「どうしてそこまで思うの」という。
「土の会」のオジサマがすっと察してくれたように、
体験や理解が垣根を越える。
わかったら、垣根を作っていたのは自分の方だと気づくだろう。
私もそれを体感した一人にすぎない。
そのことを教えてくれたのは彼であり、みんなである。
そして、みんなの個々の独特の魅力に出逢い惹かれ続けてきた。
人と人だけでなく、自然ともしあわせな関係を築くことが、
本当の意味での「人のしあわせ=(福祉)」であると思う。
4月から半年経った。
私の活動について、名前を付けちゃえばと言ってもらって、
この間、むくむくとずっと考えているけれど、なかなか決断できないでいる。
目にみえるカタチになっていない状態でもあり、
また、カタチになるのは、数年先になると思ってもいる。
時おり、ちと不安にもなる。
設楽さんが、「いつかいい言葉に出逢うよ」とサラッと言った。
すうっとした気持ちになった。
パーマカルチャーも、田んぼの学校も、今毎日を過ごしている色々な場所も
すべては夢に繋がっていると思う。夢がクリアになってゆく。
だから、この半年でちゃんと決められたことがある。
もう組織はいらない。どこかに属さない。
今まではそのことに少し不安でもあったけど。
私がつくりたいコミュニティは、新しい価値観の先にあるから。
夢に向かって。
あの日の彼の笑顔を思うたび、これからの私の背中を押してくれるだろう
雨の音が響いてる
屋根の雨の音 なんだか聴き入ってしまう。
稲架にかけた稲が濡れちゃうな なんて思いながら
PCCJから帰って来て、眠たいはずなのに
なんとなく眠れずにいる
今回学んできたことは、ランドスケープデザイン。
デザイン カタチつくるということは
自分だけの想いではできない
周りの環境や人の想いに添って、自らのイメージを折り重ねてゆく
ある場所をデザインする上での講義であったけれど、
私のあたまのなかは、
自分の夢へのデザイン、現わすことへのステップが
もくもくとしていた。
駅へ向かう帰りの車の中で、
設楽さんが、ふと「夢叶うといいな」と言ってくれた。
そうして私は、前職場を退職して半年、
いっとう嬉しかった出来事を、おしゃべりしていた。
前職場の福祉施設の利用者で、
諸事情により私が退職をしたと時を同じくして
施設に通わなくなり在宅の彼がいる。
彼は、私に多くの想いをくれた、いわば夢の原点である人。
そんな彼に稲刈りを誘ってみた。
この半年の間にも、彼に逢う機会は持ったのだけれど、
彼のお母さまの努力も叶わず、再会はなかなか実現しなかった。
お出かけすることに緊張感の高い彼はなかなか、なのだ。
お母さんは、稲刈りの前日、予行と称し、田んぼの下見をしてくれていた。
田んぼからかけてきてくれた電話口から聴こえる彼の声を聞いて、
「じゃあ、明日ね」と伝えたとき、
彼の明るい声と、お母さんの添う姿に胸が熱くなる思いがした。
そして、次の日の稲刈り当日。
彼は来た。やっと逢えたか。嬉しかった。お母さんと目配せした。
稲刈りが始まり、一般市民の参加者である子供連れの家族が稲を刈る。
私は、ボランティアスタッフとして、ひたすら稲束をまるく。
ふと、遠くでみている彼を見る。彼はいつも私をみていてくれる。
ちょいちょいと手招きすると、彼はにっこりやってきて、
以前、彼と一緒に仕事をしていた時のように、
いちど一緒に稲束を運び、場所を伝えると、
のみこみの早い彼は、稲運びに飛び入り参加。
何度も稲束を抱え、往復する。
他のボランティア要員の「土の会」のオジサマ方は、
私が少し説明しただけで、状況を把握して、
畦を往復する彼に、
「ありがとう、ごくろうさま」と口々に声をかけてくれた。
その言葉が、彼をいっそうやる気にさせ、笑顔をよぶ。
彼がこうしておしごとをするのは、どのくらいぶりのことだろう。
私は、以前前職場のおまつりに「土の会」のオジサマ方に
お手伝いに来てもらったことが功をそうしたなあと、うれしかった。
彼がお手伝いする姿を遠くでみていたお母さんも思わず稲束運びに参加して、
畦を行く面々との彼とのやりとりや、みんなで作業するひとときに
「(他と)違うわね。気持ちがいいわ」と話してくれた。
作業を終えて、稲架を背に一緒に写真をとった時の
彼のとびきりの笑顔。
私は、再確認する。
私のやりたいこと、夢はこういうこと。
人との共生「結」のこころ。そして、人と自然との「結」。
そして、田んぼの持ついくつもの可能性。
人の稲作だけではない、自然との関係、
田んぼの意味を伝えていけるようになりたい。
施設を出たら、そこで彼と私の関係が終わってしまうわけではない。
そのことを実感し、そのつながりに感謝したい。
施設を出たからこそ、できることがある。
障害者自立支援法という悪法ができて、私は想いを強くした。
(カンタンにいうと、体の不自由な人が、トイレの介助してもらうのに、サービスを受けるのだから料金を負担しなさいよという法律。トイレやお風呂という日常の必要不可欠な行為にお金を払いなさいといわれたら、あなたはどうしますか?)
この法律は、社会の在り方を問う問題であると思う。
この法律は今、みなしの部分もあって、
数年後には、しょうがいしゃの雇用を促進すると銘打って、
施設から一度みんなが出る経験をすることになるかもしれない。
そんなとき、
うちに来なさいよ?と言えるコミュニティつくりがしたい。
私は「福祉」という言葉は「人のしあわせ」という意味だからとても好きだけれど、
その単語の持つ一般的なイメージは、誰かと誰かを区分するような感じがするので大キライ。
だからもう、いわゆる「福祉」とは一線置いた新しいコミュニティつくりがしたい。
にっこり頑張る彼を見ているとつくづく思うのは、
自分が必要とされているという想いのかんじん。
それは、彼も私も同じ。
田んぼや、「農」のなかには、様々な「やること」があって、
それぞれの人にできることがある。
手仕事はおおぜいがいい。
そうしてまた、「結」を結ぶからこそ、できることでもある。
それを、作業をツールとして使う「療法」とは呼びたくないけれど
そういった要素もありつつ、また「療法」と決定的に違うのは、
対象者とかいうように人を区分けしないで、
ただ単に、いってしまえば土臭く、
「自分が必要とされているという想いのかんじん」をみな一緒に思えるという
シンプルイズベストなこと。
だから、施設福祉を越えた先にゆきたい。
知らない人は、私がみんなのことを話す(仕事柄を言った時)と、たいていは、
「(しょうがいについて)大変ね」という。「どうしてそこまで思うの」という。
「土の会」のオジサマがすっと察してくれたように、
体験や理解が垣根を越える。
わかったら、垣根を作っていたのは自分の方だと気づくだろう。
私もそれを体感した一人にすぎない。
そのことを教えてくれたのは彼であり、みんなである。
そして、みんなの個々の独特の魅力に出逢い惹かれ続けてきた。
人と人だけでなく、自然ともしあわせな関係を築くことが、
本当の意味での「人のしあわせ=(福祉)」であると思う。
4月から半年経った。
私の活動について、名前を付けちゃえばと言ってもらって、
この間、むくむくとずっと考えているけれど、なかなか決断できないでいる。
目にみえるカタチになっていない状態でもあり、
また、カタチになるのは、数年先になると思ってもいる。
時おり、ちと不安にもなる。
設楽さんが、「いつかいい言葉に出逢うよ」とサラッと言った。
すうっとした気持ちになった。
パーマカルチャーも、田んぼの学校も、今毎日を過ごしている色々な場所も
すべては夢に繋がっていると思う。夢がクリアになってゆく。
だから、この半年でちゃんと決められたことがある。
もう組織はいらない。どこかに属さない。
今まではそのことに少し不安でもあったけど。
私がつくりたいコミュニティは、新しい価値観の先にあるから。
夢に向かって。
あの日の彼の笑顔を思うたび、これからの私の背中を押してくれるだろう