2006年06月

2006年06月24日

それで順調


話を聴きながら思っていた

向谷地さんは、ある意味、常識やぶりのソーシャルワーカーで
精神科出入り禁止になったという体験を持つ。
所謂「医療」「福祉」のシステムになかったことをしたからだと思う。
とかく、型をやぶるということは、組織から嫌われる。
「痛点のない」向谷地さん。

本来の、「しあわせ」のために為されていることなら、
いいのにと思う。

私と向谷地さんをくらべることなんて恐れ多いけれど、
私にも思いがよぎる。


私はその長の目を決してわすれないだろう。
私の言動は、とにもかくにも「気に触った」らしい。
その人たちはよく怒鳴った。
その発言に反することをせず、
私はただ、怒鳴るのは自分に自信がない証拠だと思っていた。
そうして、また怒鳴られる。
「そんな目で俺をみやがって」ますます腹立たしかったのだろう。
その人に「慣れない」私が疎ましかったのだろう。
敢然な全否定を浴びていた。

けれど、何よりみんなや、親御さんからの理解をもらえたこと。
それが私の心強さになっていた。
わかってくれているということのしあわせを思った。

「福祉」=「人のしあわせ」がいちばん大切なことなのにな
いつもそう思っていた。
そうして私は私の生きる道を思った。
いちばん大切に思うことをそのまま大切にできる場処にいたいという想い。


アセスメント
「施設福祉」の関わり方。
課題を定め、目標をたて実践があり、評価がある。そして先に立ち返る。
「目標」は、対象者も参加、公表、同意が前提だけれども、
知的しょうがいのあるみんながちゃんと理解できるまでには
添いながら時間をかけてすすめる必要がある。
しかし、実際は...
いきなりの面談方式。
「こうだね」と相手から言われたら、
みんなはそのまま「はい」と答えてしまう事実。

そもそも、目標というのは、
そのままでいいよを立前にしつつも、「それで順調」とはいかない。
その人の課題(至らない部分)を抽出するのだ。
大人の年齢であっても、課題があるとされ、目標を設定され、
対象者で在り続ける。

しょうがいの有無に関わらず、カンペキな人なんていない。
まして、課題なんていうのは、自分の内をみつめる作業。
大変なことであり、時に苦しい作業でもある。
私はそう思う。

そして誰しもがきっと、今よりもっとよくありたいと思っている。
どうしてみんなだけが課題とされるのか。
それは「いっぱん」とチガウから故なんだろう。
違うことを問題にしているのは、「いっぱん」の人たち。

添うほどに、みんなの所謂「課題」な部分をも惹かれて止まなくなる。
そのままでいいけど、一緒にいることで変わってゆくことがある。
お互いがあるから、それがカバーされることがある。
向谷地さんの言う「人とのつながりを取り戻す」ことで、為せることがある。
私は、どちらかというとそういう周りの方の変化の必要性の方が、
「しょうがい」より大きいと思うのだ。

理解するには、正直に向き合わなくてはなし得ない。
机の上で、書き物だけしてわかるものじゃない。
私は、みんなといたことで、人とのつながりを取り戻した。
寝食ともに、泣き、笑い、怒り...する想いの先で
「課題」とか「改善」とか「成果」とか。
もう、対象者としてみることをやめたいと思った。
いいじゃない、それで順調。そんな気分。

けれど、今の「施設福祉」は、
「それで順調」と言ったら、援助職員の存在意味を揺るがす。
けど、敢えて言いたい。所謂「福祉」がなくなる世界が必要だと。
もちろん、そのままでいたら、
社会のなかでその人が、生きづらいこともある。
だから、コミュニティは必要だ。新しい感覚の場処がいい。
対象者の域をこえ、その人たちと一緒に、チャンプルーで、
その人らしさを大切に、苦手なところは周りがちょいと手を貸せばいい。
もし頑張れと言わなければならないのなら、その人だけに「頑張れ」と言いたくはない。
一緒に頑張ればいい。
けど、頑張ってきた人に、もう頑張れって言わなくてもいいよね。

本来の「福祉」という意味はごくごくシンプル。
=人のしあわせ
そこに、しょうがいの有無の表記はない。

「べてるの家」は先駆者だ。
降りてゆく生き方は、本当の意味で、あがっているんだ。
それは、目にみえるものではなけれど、心温かく強くするもの。
生きてゆくことにいちばん大切なことに近づく。



at 15:41|Permalink しあわせのとびら 

「べてるの家」から吹く風

下野さんの「べてるの家の歌」から始まった
向谷地さんとランディさんの
「「べてるの家」から吹く風」 出版記念トークイベント。

もう笑うしかない 
社会復帰でなく、社会進出
「それで順調」

失敗を予測して、そのとおりにおきたら計画通りということです。
またイライラしてガラス割ってしまうかも(予測)
→予定通りガラスを割ってしまった
→ちゃんと先を見通してるんだね→すごいね(順調!)

へたにひらきなおる? そうじゃない。
それでも何かを肯定していくということ

あきらめる。弱さをみせること。
そういうことは、
ウソはできない。人と人のまっすぐな部分でつきあうこと。

「具合悪い同志で、話、合うんですよね。」→「話し合うんですよね」
(数々の大変な会話の末...)→「元気になるしかないよね」と下野さん。

なんとかしなくてはいけない人と扱われ続けてきた、
精神しょうがい(統合失調症)。
統合失調症に対しての、多くの人のイメージは、
否定的であり、恐怖であり、重苦しいと思われてきた。
あきらめ、絶望をネガティブにとらえる傾向

当事者が、理事や施設長を務め、幻聴を「幻聴さん」と呼び、
「なんとかしよう」を「なんとか笑(しょう)」にかえた
北海道の小さな町の、「浦河べてるの家」のやり方は、
病を科学的に治そうとする社会、医療、福祉が、
顧みることのなかった世界。

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べてるで大事にしていることは、
「人とのつながりを取り戻す」こと。
だから、この個人情報を保護する時代に、公開しているべてる。
人の経験してきたもの、弱さとか、伝えることを隠さずに
そうして「人間の営みを取り戻す」こと。
向谷地さんはそう話す。

そうして、自分の周りにいる人たちと、自分と
正直に向き合うこと。人を信じるということ。

だから、いろんなことがあっても
「それで順調」

そんな話を聴いたなら、もう心のなかは、にっこりしている。

誰しもが、「それでいいんだよ」「そのままでいいんだよ」
そう傍にいてささやいてくれる温かな存在を求めているのだと思う。
そうして、自分もまた誰かにとっての、
そういうものになりたいのだと思う。

そういうことが、目にはみえないかんじんの環のように感じる。
心の病や、この社会にじわじわとある黒々とあるもの
「べてるの家から吹く風」に、吹かれたらきっと
たくさんの人の肩の荷がおりるだろう。
笑うしかないでしょう♪

「たすける つながる 人はそういう傾向がある」
そう向谷地さんが話すのを聴いて
なんだかうれしくてほっとした。

べてるの家 HP

べてるねっと スペシャル

at 13:40|Permalink しあわせのとびら 

2006年06月18日

観察実習 水の流れ

用意するのは、針金のハンガーひとつ。
コーティングのビニールをはずし、半分に切り
「く」の字に折り曲げ、とんかちで叩いて、凹凸をなくす
ダウンジングの道具が完成。

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力を入れず、片方に一つずつ持ち歩く
水脈を感知すると、針金が開いてくる という仕組み。

私は、なかなか反応しませんでした...
だけど、上流の方に歩いてゆくにつれ、
水の小さな流れがみられる辺りで、針金がすうっと動きました。

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小道の端に、セリ。
水辺の植物がちゃんと生えている。
水のあるところを教えてくれる植物指標。

水脈を捉えることができたら、
畑のデザインや建築のデザインや
いろいろに作用し、活用できてゆく。

我が家でもやってみよう、ダウンジング。
我が家は昔、沢だった。雨の日は山から水が流れてくる。
針金、きっと動きまくりだろうなあ。


at 14:30|Permalink パーマカルチャー 

自然に賦存するエネルギーと物質循環

水は循環している。

海 太陽光に蒸発をし、雲となり、山にぶつかって
雨となる。
雨粒は地下水となり、川となり 海へ還る

「しずくのぼうけん」という大好きな絵本を思い出す。

植物のはたらき 植物の9割は水

物質として循環する=生き物

人々は昔から水をうまく利用して生きてきた。

井戸水 
暗くして光をあてないで温度を保つと水は腐らない

雨水 きれい?きたない?
降り始めの雨を除けば、雨は純粋に近いくらいきれい
超軟水 環境に優しいお洗濯♪

「雨の建築」を作ろう
「雨水生活」をしよう

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酸性雨が騒がれるなかで、雨水がキレイってこと知らなかった。
水は、大地をフィルターを通って、浄化されてゆく
一滴の水が大河となる
自然が水を生み育てる

ペットボトルで水が売られている。
遠くの国の天然水。実はガソリンよりも高いのだ。

天気、雨。そんな日は、雨水利用ができるといい。
雨の日はやだなあ?なんて気持ちの隣に
恵みの雨を。

講師の神谷先生は、地球博の森の自然学校にあった
あの「水琴球」の制作者だった。
あの音色。
水琴窟好きの私。感激したのだった。
その後、誰が作ったのかを探していたので、
御本人に御会いできて、またまた感激だったのでした。


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at 11:42|Permalink パーマカルチャー 

2006年06月17日

パーマカルチャーデザインの手法

パーマカルチャーデザインは、我々をとりまく環境全てを、
色々な要素で成り立っている「システム」として認識し、
それをデザインすることである。

パーマカルチャーデザインとは、
概念や物質そしてそれらに対する戦略を在るパターンにまとめあげ、
生活のあらゆる場面においてうまく機能するようにすること。
そしてこの地球という場を持続可能で安全な場所とすること。

「デザイン」する
対象があり、理由、ニーズ、ビジョンがあり、判断根拠がある

自然資源の情報を観察し、
資源の確認、情報を分析する
自然の動き、プロセスを学び、
どうデザインするかの選択と決定する
得たデータを活用し、
新たに組み合わせてみる
フローチャートを示し、
ゾーンわけ(ゾーンニング)を行い、動きを最小限で有効なものにする
エネルギー、物質のやり取りのバランスの
定期的なチェックを行う

表にして表してみる
デザインマトリクス
そのデザインが、
デザインの原則(循環性、多重性、多様性、合理性)を
得ているか、多機能であるかを確認してゆく


デザインをすすめる上では、
「自然を読む目」を養うことが必須である。
そして、根底に「こうしたい」というミッション。
そして、ビジョンを描くこと。
とびっきりの好奇心を持って、
関係ないとは言わないで、様々に目を向けるフットワークを持って。
そしたらきっとできる。
きっと叶う。夢はこの先。


at 14:59|Permalink パーマカルチャー