2004年08月
2004年08月04日
人のしあわせ
ネパールという国で、ギータさんに出会った。
彼女は、幼児教育、福祉の勉強のために、
日本に留学し、今春帰国したばかり。
ネパールでガイドの傍ら、ボランティアをしながら、
夢を抱き生きている。
案内する場所の細かな説明は本当にプロであった。
私はこんなふうに日本を語ることはできない。
彼女から語られるネパールという国。
無宗教である私にとって、
今までかみさまの存在や、祈りは
ほんとうのところでいつも
なんて思っていいのかわからないものだった。
どんな神様を信じても辿り着くところはおんなじ。
「私はそう思いますね」
そう彼女から聞いたとき、「良かった」と思った。
靄が晴れた思いがした。
パシュパティナート寺院では、生と死を。
旅中ギータさんは、
「人はいつか神様のもとへ還る。
大切なものはモノではない」ということを
よく話していた。
星の王子さまを思った。
立ち昇る煙を直視しながら、
いのちは巡っているということを思った。
ギータさんは自国を想い、
自国のために動こうとしている。
今の私はどうだろうか。
考えずにはいられなかった。
私は、何よりも自分に正直に生きているだろうか?
7日間だったけれど、彼女に出会ったことは、
とってもうれしいこと。
人と人との出会いに感謝している。
ネパールを通して日本を思った。
足元にかんじんは在る。
dhanyabad(ダンネバード) ありがとう
また逢いましょうね。
photo / ネパールの天上の青?
2004年08月03日
目にみえないかんじんのこと
たくさんの出会い、きっかけの先、旅はあった。
そして、自分のなかで、毎日のこのグルグル感を
見つめ直したい。そんな気持ちもあった。
大助くんと山元さんの本を手にしたのは、
ずいぶん前。
彼の言葉は、しょうがいとかそういうことを
越えて響いてくる。
そのことがうれしかった。
私が日々みんなと植物を育てながら
過ごしてきたなかで、
たくさんの言葉をもらい、気持ちをもらい、
すごいな?と思っていたことを、
かっこさんが大ちゃんやみなに添い
こうして言葉にしてくれた気がした。
山元さんはじめ、一緒に旅をした方々と
ひとつひとつ話す度、
自分のなかに気づき、
いろいろがふえていくようだった。
それは時につらくもあったけど、
すべてはうれしいに繋がってった。
「君は涙を流せる人だから大丈夫だ」と
「貴女の姿に観音さまをみました」と
言ってくれた共に旅した方々の。
今、旅を振り返りながら。
毎日のよにお便りが届いている。
今、本を読んでいる。
また一歩、まえにすすもう。
ありがとうございます。
御多幸をお祈りいたします。
僕は僕やから 大切にできる
僕は僕やから がんばれる
僕は僕やから 好きになれる
(大助くんの詩)
私もそう在りたい。
photo / 水に浮かぶ花(ポカラ)
山元かっこサンのHP
「たんぽぽの仲間たち(みんな素敵)」
ネパールの植物
ギータさんとの出会い。
私と彼女は、
話をしていていろんな共通点があった。
そのなかのひとつ。
植物が好きなこと。
ネパールがこんなにガーデニングが、
植物を育てるということが
盛んであることにおどろいた。
植木鉢屋さんも多く見かけた。
ホテルで育てられている植物はもとより、
サランコットを歩く道のりや旅中そこここで、
日本で見かける植物は沢山あった。
ネパールは沢山の薬草があり、
ハーブとも言われる人が利用する草花が
豊富であり、研究も進んでいるということは、
日本で、その研究に携わっている方の話を
聞いていたので知っていた。
海の底から生まれた国ネパールは、
ゼロ磁場といい、お野菜美味しく
大きなパワーのある場所なのだそうだ。
彼女がバスの車中や、いろいろな場面で、
「あ、ノボタンですよ?」なんて
嬉しそうに話して教えてくれたことは
なんとも心地よかった。
私は「天上の青」という朝顔が大好き。
朝から夕まで。初夏から晩秋まで。
ハートの形をした葉っぱ。
最初に訪れたスワヤンブナートから
天上の青に似た花を見かけた。
ネパールの其処此処に咲いていた。
沖縄みたいだ。
(「天上の青」という小説を書いた
曽野綾子さんは、大木神父様の施設の
援助をされたのだそうだ!)
すべてを許す青が咲く国。
「日本と同じ植物がいっぱいありますね」
ギータさんにそう話すと、
「だって同じアジアだもの」
そうだね。おんなじアジアの国だものね。
もらったプルニアの花の種、
大事に育てるからね。
photo / 百日草 (ポカラのホテルにて)
2004年08月02日
豊かさとは何か
カトマンズのレンガの茶色い建築物。交通渋滞。
熱気、匂い、人々とのやりとり。
カトマンズは私が想像していたよりずっと
活気に満ちた都市だった。
その細かな美しい彫刻も
屋根に草が生え、苔を張り、お疲れ犬が寝転ぶ
生活の一部として存在することがなんとも素敵。
そしてポカラへ行く道のりの
その広がる田んぼの美しき景色。山々の稜線。
沢山の表情を持つひかれてやまない国。
当たり前だけれど、一度の訪問でわかるわけではない。
観光客、しかも団体なので、
その売り込みたるやスゴかった。
日本語巧みに話しかけてくる。
子どもの物売りも多い。
「1ルピーをちょうだい」と
手を伸ばす子どもや赤ちゃんを抱えた母親。
「I'm sorry. I have no money」
何度言っただろう。
お金を持っていないはずもなく。
ただ、ギータさんの言うように
物乞いをするのではなく生きて欲しいと。
物価は日本の5分の1くらいカナ。
私たちは団体観光客。
泊まったホテルは最高級で、この滞在中ホテルの宿泊代は、
多くのネパールの人が1年間働いて得る賃金を
越えるだろう事実。
美味しい食事も食べ切れずに沢山残してしまった。
本当にごめんなさい。
施設を訪れ、思い巡らせながもこのホテルに戻る。
自分ではどうしようもないことなのだけど、
ひっかかって仕方がない。
世界最高峰のエベレスト。
この国の何人の人が
その姿を間近に見れる機会があるというのだろう。
チベット村の家庭、まだ残るカーストの最下層の人々の家庭。
訪問し、カメラを向ける。
自分がその立場でヒョンときた外国人に
カメラを向けられたとしたらどうだろう。
いたたまれなくなって部屋をでた。
本来なら、決してフィルムに収めることを目的とせず、
その人と仲良くなって、部屋に招かれて知る...
ということになるのだろうが、
今それが叶う状態でもなく、
だけど何もそこに触れずに観光していたいわけではない。
また、
ネパールの人々が日本人と比べてプライベートというか人に対して
オープンであるのかもしれないな
とも思って自分を落ち着かせた事実。
ネパールと日本を比べるだけでは仕方のないこと。
すべてをひとつの価値観で考えるのは間違っている。
けれどそのことを知り、受けとめ、
ネパールで、日本で、自分に何ができるのかを。
子どもや行き交う人々の表情の豊かさや目の輝き。
何をもって豊かさというのかを思った。
photo / いっとうお気に入りの建築物(Patan パタン)
2004年08月01日
NO RAIN NO RAINBOW
雲の海をみている。小さな此の飛行機の影。
囲む虹の輪。
ちょうど一年前だ。
波照間島で夜の虹をみたのは。
西表島で大きな大きな月暈の下にいたのは。
雪のすみか ヒマラヤ山脈へと向かう。
Sagarmatha(サガルマタ=ネパール語)
Mt Everest(エベレスト)
そして、Qomolangma(チョモランマ=チベット語)。
子どもの頃、
テレビでチョモランマ登頂のドキュメント映像を夢中でみてた。
(興奮して話す私。以来友は私を
「チョモ」と呼び、今もそう呼ばれている。余談)
飛行機ってスゴイ...なんてぼんやりと思いながら
窓から、雲の上に連なる山々をみていた。
世界最高峰エベレスト 8850mが目の前に広がる。
なんて言葉にしたらいいのかわからない。
人生は素敵だ。
いろんなことを考えた。思った。
素敵な人たちに出会った。言葉をもらった。
ギータさんに「また来ます」と握手した。
ネパールにはギータさんがいる。
そう思うと、心熱くなる。
photo / Sagarmatha(サガルマタ)